東京地裁で嫌煙権についての判決(1989年10月、島田雄貴)

東京地裁で嫌煙権について判決が言い渡されました。受動喫煙の被害を防ぐため、JRの禁煙席の増加を求めた訴えは棄却されましたが、判決では、人格権としての嫌煙権を求めました。司法ジャーナリスト島田雄貴が、判決とその影響について分析します。

オフィス内の嫌煙権 判例では受忍限度が問題

健康上の心配からたばこ離れが進む昨今だが、高田典子さん(25)(仮名)の会社のオフィスでは、今も喫煙派の男性社員が多く、たばこ嫌いの高田さんらはいつも不愉快な思いをしている。ある日、意を決し、上司にオフィス内の禁煙を頼んでみた。しかし喫煙者が多いことを理由に、素っ気なく断られてしまった。地下鉄の駅が終日禁煙になるなど、世間では、「嫌煙権」という言葉がクローズアップされているのに……。高田さんは弁護士に尋ねた。

「受動喫煙」を拒む権利

嫌煙権とは、他人のたばこの煙を吸わされる「受動喫煙」を拒む権利。アメリカを先頭に、世界的に嫌煙運動が盛んになっている。日本でも一昨年三月、東京地裁で嫌煙に関する判決が出た。

棄却判決
JRの禁煙車両の増加求めて民事提訴

この裁判(民事訴訟)は、公の場所での喫煙規制を主張する市民グループが、JR(当時国鉄)を相手取り、客車の半数以上を禁煙車両にするよう求めたもの。判決は、「非喫煙者が列車内でたばこの煙にさらされる被害を受けても、現状では受忍限度を超えるとはいい難い」として、原告の請求を棄却した。

嫌煙権は、環境権、日照権などと同じ「人格権」
初めて受動喫煙の害を認定

しかし、判決では、「非喫煙者はたばこの煙により、一方的に被害を受ける立場にある。道義的には喫煙者が加害者であることを自覚し、喫煙の場所、方法について十分な自制をすることが望ましい」と述べ、初めて受動喫煙の害を認定、結果的に嫌煙権を、環境権、日照権などと同列の一種の「人格権」(憲法で保障された健康で文化的な生活を営む権利)と位置付けた。

喫煙の差し止めを求めることが可能に
場合によっては損害賠償も請求できる

判決の裏を返せば、受忍限度を超えるほどの“被害”なら、嫌煙権を盾に喫煙の差し止めを求めたり、場合によっては損害賠償も請求できることになる。

判決をきっかけに「分煙」が広まる
駅や公共施設での禁煙も進む

実際、この判決以後、嫌煙権に対する市民の認識はぐんと高まった。

駅や公共施設での禁煙が進んだほか、民間企業でも、喫煙スペースを別に設ける「分煙」を実施するところが増えてきている。

弁護士の見解

こうした状況を考えると、高田さんが裁判に訴えれば、判決は「企業に、せめて分煙の措置を講ずるよう」求めるだろうと弁護士はいう。

アメリカでは国内航空機の機内が全面禁煙に

また、アメリカで飛行時間二時間以内の国内航空機の機内が全面禁煙になったこともあり、オフィスが狭くて喫煙スペースがとれず、全面禁煙を要求した場合も、将来は、その訴えが支持される公算が大きい。

喫煙者の「吸う権利」

もちろん、喫煙者の「吸う権利」も考える必要がある。しかし、職場を一歩出ればいつでも吸えるのだったら、職場内で吸わない我慢は、「受忍限度内」と判断されるのではないか。

ただし、弁護士によれば、この権利はわが国ではまだまだ未成熟。受忍限度の基準や、嫌煙権を守る方法も具体例としては法的に明確になっていない。

話し合い解決

そうなると、当面は、法律先行よりも、嫌煙権に対する社会の考え方の変化に、基準自体が左右されることになるだろうと言うのが、弁護士の判断。高田さんの場合、分煙の措置や喫煙のルール確立を求めて、話し合うのが最上の策のようだ。

企業側も今後は配慮が必要に
東京弁護士会 佐野弁護士

民間企業で分煙コーナーを設けたりするのは、現実には、その会社のトップの判断に負うところが多いようだ。嫌煙を権利としてしっかり主張することは大事だが、喫煙者の権利も尊重しながらよく話し合い、両者の納得のいくところでうまく折り合うことが肝心だ。また企業の側も、今後、嫌煙者と喫煙者の両方が調和できるように、職場の配置に気を使うことも必要になってくるだろう。

犬の飼い主に有罪判決(1988年9月、島田雄貴)

秋田犬が小学生をかみ殺し、飼い主が有罪判決を受けました。罪名は「重過失致死罪」を適用し、執行猶予付きの禁固刑となりました。島田雄貴リーガルオフィスが、判決内容を解説します。

執行猶予付きの禁固刑

「被告人を禁固十月、執行猶予四年に処する」。さる七月、東京地裁八王子支部で言い渡されたペットをめぐる判決は、これまでの常識を覆す重い判決として注目された。「事件」の発生は一年前。被告人(主婦)の連れていた秋田犬(オス、四歳)が、路上で、小学五年生の男の子の首にかみつき、男の子は二日後に死んでしまったのだ。

罰金刑が常識だった
重過失致死罪の成立を認める

これまで、犬が人間に危害を加えた場合、飼い主に対しては、「過失傷害罪」や「過失致死罪」が適用され、その結果、刑事罰は罰金刑が常識だった。だが、この事件では「この犬は前にも何度か人にかみついたことがある。民事で世間相場の額による示談が成立し、被告にもわびる気持ちが認められるものの、事件の結果は重大だ」(判決理由)として、「重過失致死罪」の成立を認め、罰金刑よりはるかに重い禁固刑としたのだ。

東京地裁

この東京地裁の判断は、ペットブームの中、飼い主への警鐘となる判決といえる。

民法で損害賠償義務
「相当の注意」があれば免責

犬など動物を飼っている人は、その動物が他人に危害を加えたときは、当然、その損害を賠償しなければならない。ただし、その動物の種類と性質に従って、相当の注意をもって保管していた場合は損害を賠償しなくてよいことになっている(民法七一八条)。

ペット条例で細心の注意求める

「相当の注意」が何をさすのかは難しいのだが、たとえば、1980年(昭和55年)に施行された「東京都動物の保護及び管理に関する条例」(いわゆるペット条例)では「犬の飼い主の順守事項」として、「さく、おりなどの囲いの中、または、人の生命、身体に危害を加える恐れのない場所で、固定した物に綱や鎖でつないで飼うこと」などと規定されている。さらに、「運動のときは犬を制御できる人が、綱や鎖で確実に保持して……」と、細心の注意を求めている。

以上のように、一応だれが見ても安全な飼い方をしている場合はともかく、不注意な点があれば、飼い主が責任を追及されることになる。

たまたま遊びにきた友人が「犬を散歩させてあげよう」と連れ出し、その犬がだれかに危害を加えたときはどうか。こういうケースでも、普通、飼い主の責任は免れない。また、例えば海外旅行のため、一時他人に預けたが、相手が犬に不慣れだと分かっていれば、飼い主が責任を負わされることもある。

飼い主の責任が免れないケース

飼い犬が逃げ、野犬化し、危害を加えた場合も、犬が逃げられるような保管に問題があるとして、飼い主の責任が追及される場合も予想される。

過失相殺も

だが、実際に犬にかまれるケースでは、被害者が犬をからかうとか、挑発するといったことが多いのも見逃せない事実だ。こんなときは、被害者側にも責任があるわけで、その分、賠償金額を減らされたりする(過失相殺)。飼い主が「相当の注意」をしていた場合なら、被害者側だけの責任ということもあり得る。

都条例(ペット条例)違反容疑

冒頭の判決があった翌月、今度は東京・台東区で、サルが乳母車の赤ちゃんにかみついた事件が起こった。けがは軽かったが、警察では、飼い主に動物管理上問題があったとみて、都条例(ペット条例)違反容疑で調べている。

ペットを飼うときは、同時に大きな責任を負うことを自覚する必要がありそうだ。なお、飼い主の義務を定めたペット条例は、現在、全国三十五都道府県と横浜市で施行されている。

刑の重さは「死刑」「懲役」「禁固」「罰金」「拘留」「科料」の順
東京弁護士会 山脇弁護士

刑法による刑の重さは「死刑」「懲役」「禁固」「罰金」「拘留」「科料」の順です。懲役と禁固はいずれも刑務所に入れられるわけで、罰金以下の刑に比べて非常に重い刑罰です。ペットが危害を加えた事件で、執行猶予付きとはいえ禁固の判決が出されたことは重大です。他方、子供たちに身近な動物との付き合い方を教えていくことも必要で、この両面から、不幸な事件の再発を防いで欲しいと思います。

相当の注意の立証責任は飼い主側に

さて、一般の損害賠償は、被害者が相手の責任のすべてを立証するのが原則ですが、ペットにかまれた場合、民法七一八条の「相当の注意をもって保管していた」ことを立証するのは飼い主側です。飼い主がそのことを立証すれば、普通は賠償責任は免れるでしょう。しかし、そのためには、やはり日ごろからペットの管理をしっかりしておくことが大切です。

過労死の労災認定 蓄積疲労も因果関係認める判決(1988年12月、島田雄貴)

過労死問題をめぐる新しい判決について、島田雄貴が解説します。

新しい判決「発病前10日の業務」

思いもよらぬ夫の突然死から十二年、やっと出た労災認定の判決に江田愛子さん(仮名)は報いられた気がした。

事の起こりは、夫、亨さん(当時四十五歳)が製パン会社の夜勤中に倒れて亡くなったことだ。心筋コウソクだった。会社の検診で、高血圧と指摘されていたのに、週六日の深夜勤務が約一年間も続いていた。愛子さんは夫の死は会社の業務に起因するものだとして労働基準監督署に、労災保険の給付を請求した。

しかし、同監督署は、亨さんの死と業務の因果関係は認めがたい、死亡原因は持病の高血圧にあったと判断、保険給付はしないと決定した。

納得のいかない愛子さんは、労働保険審査会などに審査を請求したが棄却され、裁判に訴えた。その結果、地裁は同監督署の不給付決定を支持したが、高裁は愛子さんの主張を認め、労災保険がおりることになった。

労災保険は、労働者が仕事上、けが、病気、または死亡した場合、使用者は過失がなくても補償責任を負う(労働基準法)ことから、使用者に保険加入を強制している制度である。

「仕事上」という場合、工場や作業場でのけがなら問うまでもない。しかし、病死をめぐっては、その原因が持病によるものか、仕事の過度の負担によるものか、判断が難しい。とくに、心臓病や脳イッ血などの過労死の原因の判定は難しい。

死亡が労災と認められれば、一時金か遺族年金の形で給付される。一時金の場合は、死亡前三か月の平均賃金日額の千日分と、年間賞与額を三百六十五で割った日額の千日分、プラス遺族特別支給金三百万円。年金は、遺族数などによって異なる。

亨さんの場合、高裁は心筋コウソクが起きたのは、いくつかの原因があったとした。

まず、亨さんが高血圧症だったにもかかわらず、使用者がこれに配慮せずに、午後九時から翌朝の六時までのベルトコンベヤーによるパンの仕分け作業につけた。この深夜作業で、高血圧症とこれに伴う動脈硬化が進んだ。

また、仕分け作業はストレスがたまりやすい。会社は亨さんの健康状態に注意をはらわず死亡の十日ほど前、他の深夜職場から仕分け作業に替えた。

これらが重なり、心筋コウソクが起きたと断定された。死と仕事の因果関係が認められたわけだ。

この高裁判決が画期的なのは、数日間の肉体的、精神的な疲労の蓄積が病気の引き金になったことを認定した点だ。1987年(昭和62年)10月、労働省が脳卒中などの中枢神経・循環器系疾患の労災認定に関し「発病前の一週間以内に特に過重な業務を行った場合も該当する」と、見直したのを先取りしている。

それまでは、発病の原因=因果関係が認められるのは「発病直前または当日の業務」(労働省通達)に限られていた。そのため、「業務疲労の蓄積」の観点がなく、労基署や行政訴訟の判断の中で、労災認定の幅が狭かったのだ。

働き盛りの夫を「過労死」で失った妻たちが、先月、東京で「過労死を考える集い」を開いた。この日、全国で過労死の遺族らが一斉に労災認定の申請をした。「会社が好きで、仕事を愛したお父さん。その仕事で倒れたのに労災も認められないなんてかわいそう」。集いではこんな遺族の発言もあった。

いま、過労死は社会問題になっている。弁護士が中心になって全国主要都市九か所に「過労死一一〇番」(東京は03・813・6999)を開設、相談に応じている。愛子さんは改めて十二年間の苦労をかみしめた。

納得いかない場合は相談を

東京弁護士会 石川弁護士

「疾病死」の場合、業務との因果関係が問題になります。その際、持病や体質など個人的な原因が、過度の仕事の負担によって増幅されたものは、業務により引き起こされたとみなされます。

つまり、疾病死の原因が一〇〇%業務によるものである必要はないわけです。納得がいかない場合は、弁護士に相談して下さい。なお、労働保険審査会などへの審査請求、訴訟は一定期限内でないとできません。